(3)新子安の開かずの踏切

最近、開かずの踏切が時々TVで話題になります。たった2線、複線の電車線でもなかなか踏切が開かない場所があるというニュースですが、それだけ電車の本数が増えたところが多いという事でしょうか。
ところで、新子安駅の今の跨線橋があるところに踏切があった事を知っている人はどのくらいいるのでしょうか? ちょっと見では、踏切の面影はありません。

私の記憶では、その踏切が当時の日本でも有数の“開かずの踏切”だったことです。その踏切に歩道として跨線橋(現在の前の世代)が出来て、その後しばらくして産業道路が開通し、車が通ることはほとんどなくなり、踏切は廃止されました。
今の跨線橋の下には直前で止まっている道路がありますが、その幅と同じ幅の踏切があり、その当時の朝は1時間に数分間しか開かない開かずの踏切で、毎朝の踏切渡りは大忙しで、特に通勤・通学のひとたちは踏切を越えないと駅に行けないためやきもきしたものです。
その後、人専用の跨線橋が完成しましたが、その当時の跨線橋は今の跨線橋の半分くらいの幅のため朝晩はごった返していました。しかし、産業道路の完成はまだ先だったため踏切の前は車がつながっていました。当時国道1号(第2京浜)から15号(第1京浜)に抜けるのに立体だったのは東神奈川の地下通路と入江川のそばのガード下を除くと、青木橋から鶴見の北側のガード下までしかなかったので、混雑の度合いは分ると思います。

当時は、現在の東海道線に東海道線と横須賀線が同一の線で走り、現在横須賀線と湘南新宿ラインが走っているところは貨物専用線でした。
その貨物線は今、トンネルで生麦~戸塚の間でバイパスされて、代わりに横須賀線と湘南新宿ラインが同一の線を走っています。ですので列車の本数は格段に増えており、今もまだ踏切があったらおそらく全く開かない踏切になっていたかもしれません。
滝坂の踏切が同じ条件ですが、駅そばではないので、まだ開く確率が高いと思いますが、まったく同じ条件以上と思われる鶴見の総持寺踏切が廃止されてしまったのは、やはり相当ひどい状態だからかと思います。

跨線橋が出来る前の新子安駅周辺地図。踏切しかないのがわかる。
子安小学校前まで今の産業道路が出来かかっている。
踏切があったころの地図

新子安の踏切りの様子が以下の写真に残っている。
戦前には踏切に近い現在の新子安公園に国旗掲揚塔があった。(当時は子安町)

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