いま、新子安の西側は大きく変貌を遂げました。 現在の新子安駅西口のオルトのビル・マンション・相鉄ローゼンと駐車場・ロータリー広場は、かつて日本鋼管の独身寮、昭和電工の社宅など大企業の持つ団地でした。今はその面影もなく、その当時の事を知っている人たちも少なくなってきたのではないかと思います。
実はそのあたり一帯は、終戦後駐留軍の資材置き場と、いわゆるかまぼこ兵舎がありました。私の少年時代はそれが無くなり団地になっていくところをおぼろげながら覚えています。置いてある資材は木材が多く、そのあたりで遊んでいて怒られた記憶があります。
数年前にできた大型マンションは、以前日産のグランドや横浜マリノスの本社があったところですが、こちらも同じように接収地でしたし。子安台公園は日本軍の高射砲陣地があったところで、同じように駐留軍の資材置き場でしたが、その後は兵舎があったので自衛隊公園とも呼ばれていました。
このように戦後間もないころは、駐留軍に場所を接収されていた時期がありました。新子安地区に近いところの接収地の状況は以下の通りです。
新子安もそうした事で戦後間もないころは、米軍の影響下にあったという事です。それも1958年は接収が解除され、今の街並みに変わっていきます。
※新子安近辺の米軍施設