(9)新子安から世界へ:産業変遷

新子安のペデストリアンデッキより海側方向を見ると、古川病院の先の方にビル建築が進行中なのが見える。
ここには東芝より分離したメモリー専門の半導体製造会社の「キオクシア」の研究所に属する実験研究棟が出来る。 開発部門は同じ横浜の栄区に出来るらしいが、研究段階の実験的な研究は新子安で行うよう で、2023年には開所するらしいです。
その向こう側には、ブルーLED発見発明で有名になった、徳島の日亜化学の関東の拠点である横浜研究所(YRC)がある。ここでは最先端の光デバイスが開発されているようだ。
更にその隣には、世界的に有名なエンジニアリング大手である千代田化工建設(千代健)の研究所がある。ちなみにエンジニアリング大手と言うと「日揮」もあるが、千代建も日揮もなぜか本社はみなとみらいである。 石油コンビナートが最初に出来たのが横浜であり、そして京浜工業地帯であり、それらを設計施工してきたエンジニアリング会社が横浜に本社を設けているのはその長い歴史を語っているようだ。

これらの企業があるあたりは、 かつて 大日本精糖と言う砂糖製造の工場と日本ビクターの一部の工場があった。
実は横浜は、江戸時代~開港後の日本において、お砂糖の栽培・生産とともに輸入の中心地で 、今も精製砂糖の発祥の地とも言える横浜港の大黒ふ頭には、国内をはじめ世界中から仕入れた原料を使い、製品化する砂糖の工場がまだあることはあまり知られていない。

産業道路が出来たころの沿岸部企業配置

その反対側の敷地のほとんどは以前広大な日本ビクター(JVC)の工場だったが、その後いくつかの敷地は倉庫となり、JVCケンウッドとなってからかつての本社部分はいま佐川急便の物流センターとなり、その先に JVCケンウッド の本社がある。JVCは、日産自動車同様、横浜が発祥の会社だ。
そのJVCが新子安の守屋町に創業したのが、昭和の初めで、もともとは米国のVictorの日本法人からスタートしている 。 その後の経営はいくつかの会社にゆだねており、その変遷は米国RC A➡日本Victor単独➡松下グループ傘下➡そしてKenwoodと一緒になる。 日産自動車もその企業母体の変遷があったがJVCも同様だ。
実は編集人はJVCとKenwoodの両方に勤めた経験があり、地元にある事もあって今でも懐 しい気持ちだ。JVCは、今ではほとんど見かけなくなった家庭用VHSビデオで世界を席巻した事で有名だ。恐らくどの家庭にも1台はあり、動画映像を家庭で楽しめるような世界の基礎を作った。
それに使われる回転シリンダーと呼ばれる精密部品は、日本の電子技術の発展の基礎を支え、いまでもそれに使われた精密設計・製造技術はロボットなどの先端技術で日本を支え、世界のお手本となっている。しかし、こうした電子機器はものによってはどんどん電子化されて機械的な部品は減り、それこそこれから出来るキオクシア研究所のような会社が作る半導体メモリーなどに取って変わられている。

その JVCケンウッド さんから以下のような写真の提供をいただいたが、その写真には昭和電工の一部が写っている。今の佐川急便の流通センターの先の海側の運河を橋で渡ったあたりから奥一帯がそうである。運河を渡ってすぐ右側には、昭和電工の複合研究施設「共創の舞台」と称する研究棟が出来ている。この周辺一帯は広大な昭和電工の敷地のほんの一部で、これらの土地の多くはすで更地となり生産はほとんどしておらず、いずれ何かの施設に変わるものと考えられる。
その昭和電工にしても、 元は肥料とかアルミニウムなどの素材生産だったが、その素材生産の内容もエレクトロニクス業界で使われるような素材や部品を開発製造するように変革している。

JVCケンウッド さんからいただいた写真 I:工場落成時らしいです。(今の佐川急便の流通センターです)
日産と昭和電工方面へつながる貨物線(運河にかかる橋)も見えます。
JVCケンウッド さんからいただいた写真 II:工場の外の様子。トラックの形が昭和の初めですね。

ちなみに昭和電工の敷地を通る道路は意外と自由に通る事が出来て、小学校・中学校の頃は岸壁まで行ってよく釣りをしたものだ。今考えるとその頃はおおらかな環境だった。今では考えられない。

そのさらに先の大黒ふ頭に向かうあたり一帯は、日産の発祥地でもある日産横浜エンジン工場だ。かつてはここで車の生産が行われたが、今はエンジン関係も部品のみのようだ。 車にしても、今やメカでなく、電気が主流になりつつあり、その自動車を製造する日産もこの地で発展してきた。
日産はもともと戸畑鋳物と言う企業から出発しており、昭和8年に現在の横浜工場を取得し今に至っている。 合併を繰り返し社名も何度か変わってきており、最後は外資の傘下になっている。外国資本の進出拠点が多かった横浜ならではの事なのだろうかと思う。

そう、こんな真近のエリアで、世界を取り巻く技術的な世代が変わってきている事が分るのが新子安の沿岸地帯だ。

このように発展してきた沿岸部の多くの企業は、日本だけでなく海外を相手にして発展してきており、これらの企業は海外での売上比率が半数以上になっているところも多い。逆に海外からの進出も増えており。すこしMAPで周辺を探ると、 JVCケンウッド の周辺には外資系の日本法人が結構多い。
新子安駅にはよく外人と思われる出張者を見かける事が以前よりずっと増えたが、その理由は以上のような背景が影響しているからであろうし、そして何で東横インのようなホテルが新子安に出来たのかと言うと、これら出張者のための需要が大きいからと思うがどうであろうか?

12月8日一部修正

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