新子安と言えば、日産自動車の影響が大きい町でした。いまもその痕跡が残っていますし、日産自動車関係の施設があります。
現在も町内会(新子安地域連合)が日産YY(ワイワイ)祭りに毎年参加していますが(コロナのため最近は中止になっているが)、その会場となっているあたりは日産自動車の発祥地です。
歴史あるビルや記念の車などが飾ってあるので、新子安の住民として一度は見てはどうでしょうか?
それが 日産自動車横浜工場1号館で、日産自動車の歴史上、発祥地としての記念の場所として保存されています。かつてここで製造した車も展示してあります。いわばトヨタ自動車のある豊田市がそうであるように、横浜が日産自動車と縁が深いのはそのためです。銀座にあった日産自動車の本社が、都内より横浜に移ってきたのも横浜が発祥の地だからでしょう。
日産に限らず、埋立地には数多くの(軍需)工場があり、そこに通う人のために出来たのが国鉄(JR)新子安と京急新子安です。その中でも日産自動車は一番大きい工場で、通勤する人の数もかなりのものでした。
そして、海側(東口:埋立地側)に対して山側(西口:主に住宅地)は、大企業の社宅や独身寮など、その従業員の住む町として発展してきました。
今は新子安で一番大きなマンションになったあたりと現在の子安小学校は、日産グランドとして陸上競技場と野球場があり地域でも親しまれていました。野球場はその後「横浜Fマリノス」の本社と練習場となり、みなとみらいに引っ越し、今は日産スタジアムのある新横浜に移っています。なので新子安は、Fマリノスの発祥地でもあるのです。
最近東京発祥のスーパー“OK”が進出してきましたが、実はあのあたりはかつて日産自動車が持っていた自動車教習場のようなコースがあったのです。
期間的にどのくらいあったのかは不明ですが、少なくとも空撮地図を見ると面影があります。その後そこには日産の医療施設が出来ました。
医療施設は打越公園隣にある日産メディカルに移って今に至ってます。研修施設も今の日産独身寮の場所にあったのですが、別の地域に引っ越しました。
オルト付近の広大なエリアにある商業ビルやマンションなどは、以前は日本鋼管の独身寮(現JFEホールディングス)と昭和電工の社宅などがあったのですが、日産自動車の敷地はマンションと子安小学校として変貌をとげたましたが、それでもまだ日産自動車の関連施設があります。
旧子安小学校の敷地は、もともと日産自動車の陸上競技場と交換されたわけですが、そのうちの半分くらいの敷地にマンションが今年の春にオープンしました。そしてその残りの敷地の入江町公園側の角に新子安南部の新しい町内会館が来年春にオープンします。そう言ったところにも日産自動車との縁があります。