(4)鶴見事故にまつわる事故と子安台国道1号のダイナマイト爆発事故

鶴見事故という今では考えられない大事故を知っている人は多いと思いますが、子安台で大きなダイナマイト爆発事故があった事を知っている人はどのくらいいるでしょうか?
鶴見事故は鶴見区で起こったので鶴見事故で、1963年の事でしたが、実際には滝坂踏切と生麦踏切の京浜東北線陸橋の新子安側で起こった事故です。
今の横須賀線・湘南新宿ラインが走っている線は、当時は貨物専用線で、ここを走っていた下りの貨物列車の一部が脱線し、ほぼ同時刻に上りの横須賀線がぶつかり、さらにほぼ同時に下りの東海道線が来たため、3重衝突となり大きな複合脱線事故になったのです。
死者161名を出した日本でも最大級の列車事故でした。
事故の原因は貨物車両の「競合脱線」だったという事で、その後の列車事故ではたびたびこの競合脱線という言葉が出てきたことを覚えています。
当時の私はまだ小学生低学年でしたが、大きな爆発音に近い音に驚き父親と見に行った記憶があります。すでに夜の10時近かったため、翌日朝また見に行ったのですが、電車が折り重なるようになっていた事に驚きました。1週間近く国鉄は止まっており、その後京浜東北線だけが先に開通し、電車に乗って事故現場を見た事があります。
実はその同じ日の午前中に、福岡県の三井炭鉱で大きなガス粉塵爆発事故があり、このことがテレビで大きく報道されていました。こちらの方も炭鉱事故としては最大で、438人が無くなっています。
そしてその事故の後始末がようやく見えてきたころに、アメリカからケネディ大統領暗殺が衛星中継で伝えられた事をよく覚えています。この9月の第2週は、日本にとってもアメリカにとっても最悪の週でした。

この事故を思い出すたびに思い出すのは、子安台のダイナマイト爆発事故です。当時子安台には今のビルのある場所に、子安台市場と言う商業施設がありました。そこそこにぎわっていた市場でした。今のビルになってからも一時期はにぎわっていた気がするのですが、その後ほぼ消滅しました。その目の前で事故が起きたのです。今の国道を横切る歩道橋のあるあたりがその事故現場です。鶴見事故の数年前で、1959年の事です。ダイナマイト運搬車と別のトラックが正面衝突し、満載していたTNT火薬が大爆発をした事故です。
当時の事故現場には多数の人が集まっていました。国道に大きな穴が開き(直径5m、深さ1m)、子安台市場を含めた近くの住宅が大きな被害(民家31軒が全半壊、201棟が一部損壊)受けていました。後から聞いた話で、トラックに乗っていた人の姿かたちは全くなかったそうで、みんなで気持ち悪がったものでした。
事故原因は過労による居眠り運転での車線をはみ出しての正面衝突だったらしいです。
思い出してみるとこうした大事故に新子安は近かったのです。今は、こうした事故の教訓で、列車には自動列車停止装置が生まれ、危険物の取り扱いには安全基準が出来て、大きな事故はほとんどなくなったものの、やはり油断大敵です。
 滝坂を少し生麦よりに行った鉄道線側に「慰霊碑」があります。通るような事があったら、犠牲者にお祈りしてください。

鶴見事故翌日の様子(ネットより)
今もある慰霊碑~生麦駅に行く途中にある(ネットより)

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